灰色の男たちに奪われた時間を取り戻せ!

    今年からいよいよ例のアレがスタートしますね。
    そうです!プログラミング教育です!

    「え?今年からだったの?」となる方もいらっしゃるかもしれませんね。プログラミング教育が義務教育に加わるということについては、私もあまりピンとは来ていませんでした。

    もしかしたら勘違いされている方もいらっしゃるかもしれませんが、この度のプログラミング教育の導入は、「プログラミング」という科目が入ってくるわけではありません。通常の科目指導、もしくは総合的学習の中でロジカルな思考、発想を促すツールとして、プログラミングアプリを活用するというものになります。

    代表的なものがScratchというアプリです。もうかなり有名になっているので、ご存知の方も多いかと思います。実は私、この前のお休みに、個人的な知り合いからScratchを使ったプログラミングをレクチャーしてもらいました。いえ、その言い方は適切ではないかもしれません。

    「プログラミングのやり方を教えてもらう」というより、
    「プログラミングで条件を組み立てていく過程で得られる、数学的概念の体感を得るという体験をさせてくれた」という感じです。

    モチーフとしては、中学数学でよくある「動く点P」にまつわる関数の問題です。

    「点P!なんで動くんだ!?止まれ!」って皆さんも昔、頭を抱えませんでしたか?

    その体験の詳細は書くと長くなるので割愛しますが、その関数の問題で示されている数式、座標、点同士の関係等を順々にコードで打ち込み、組み合わせ、その点Pの動作が条件通りの動きをするようにプログラミングをしました。

    そして、最終的に私が指示した通りに点Pが動いた瞬間、思わず声が出ました。

    「点P、可愛い…」

    まさかプログラミングによって、あの憎き点Pを愛せるようになる日が来るとは夢にも思いませんでした。

    その過程で気がついてしまったことがあります。プログラミング教育が導入される、本当の意味です。プログラミング教育の本質は、次世代のプログラマーを育て輩出することではないのだと思います。

    その本質は、これまでの義務教育課程で、ただパターンを反復することによって習得させられてきた概念、公式、定理等について、時間をかけてじっくりと向き合い、思考し、知識としてだけでなく感覚的にも理解すること…これに尽きるのではないでしょうか。そこにこそ、学びの喜びはあるのではないでしょうか。

    問題は、そういった学びを得るには、その課題と向き合うための「時間」が必要であることです。私が点Pに愛しさを覚えたあの瞬間に至るまでの過程で、「直線は点の連続であること」や、「傾きや切片とは何か。その値についてコンピュータにどう指示を出したら伝わるか」などといったことをいちいち考えなくてはいけませんでした。

    ゆっくり、じっくり、手探りのなかで、解ににじり寄っていく試みは、当然「時間」がかかります。そして、それは正解を出すという目的から逸脱した、ある種の「遊び」であり、点Pが座標点AからBへ向かう、冒険の「物語」を紡いでいくような感覚がありました。

    こういった「時間」こそが、学びを豊かなものにしますし、思考することの喜びを与えてくれると私は実感しましたし、ずっとそのように思っています。ただ、それは一見すると非効率的な営みであり、結果として得られた体感や喜びは、例えば一般的な定期テストや模試の点数に直結するものでもありません。

    「そんなことに時間を使うよりも、一問でも多くの問題を練習して解けるようになった方が、意味があるのではないのですか?」

    そんな声が聞こえてきそうです。

    いざ受験勉強となれば、確かにその方が効果を上げやすいのも事実です。実際、志望校合格を目指して、模試の偏差値とにらめっこをしている生徒に対して、思考の喜び云々の話をするほど、空気が読めない人間ではないつもりですし、彼らを心の底から応援もしています。今回の話は、その前段階の話です。

    ファンタジー作家として有名なミヒャエル・エンデの作品で、『モモ』という作品があります。この物語は、主人公の少女モモが、人々から時間を騙し取る「灰色の男たち」から、奪われた時間を取り戻そうと奮闘するお話です。灰色の男たちは、人々のもとにやってきて、このようなことを言います。

    「あなたは無駄なことばかりしている。人生で成功するには時間が必要だが、残りの人生は計算するとたったこれだけ。時間を節約して我々に預ければ利子を付けてより多くの時間を返す」

    そのようにそそのかして、人々の「時間」を奪っていきます。そして人々は時間を節約するために、何かを楽しんだりすることもなく、自分の子どもと向き合う時間さえもほっぽりだして、成功を目指して過度に働き、どんどんイライラして表情が険しくなっていきます。そして誰もが幸せを感じられなくなってしまいます。ここで灰色の男たちが奪っている「時間」とは「自分が生きる今この瞬間の時間」のことです。

    灰色の男たちは、「遊び」と「物語」は無駄で価値がないと言います。たしかに私のあの体験は、日常生活で何かの役に立つことでは無いですし、社会的成功への投資とも違います。

    日本の教育界には、小学受験、中学受験、高校受験、そして大学受験と、学力競争社会が歴然としてありますよね。そこで培われたキャリアが、社会進出の際に与える影響は確かにあります。勉強は将来への投資といっても過言ではありませんし、実際そういう話はあちこちで言われていることでもあります。それを否定するつもりは私にはありません。

    ただ、私があのプログラミングの体験で得られたものを、学びの喜びを、子どもたちが知ることがないままに、テストの点数や偏差値に踊らされてただ落ち込んだり、イライラしていくことは、本当にもったいないと思うのです。じっくり向き合えば、学ぶということは楽しく、エキサイティングで、自身に新しい何かを常に提供してくれるものなのです。

    学習の速さや量は、本当にそれが必要になった時に求めれば良いと思うのです。当たり前とされることに疑問を向け、じっくりと時間をかけて向き合い、思考すること。その時間を持つこと。プログラミングはその手段として活用されれば、幅広い層の子どもたちに、様々な形で、学びの喜びを与えられるという可能性を秘めています。

    ただその教育が実現するまでには、この国の人材の育成や教材の充実がまだ追いついていないので、もう少し時間がかかりそうではありますね。

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